「罵倒に耐える」という感情システムは、観測範囲が生活圏周辺しかなかった時代の盲腸なのではないだろうか?

罵倒コメントを貰いたくないのならブログなど書くな - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

そして、私は罵倒コメントを否定はしない。したければすればいいという考えだ。どの様なコメントを貰ったとしても、私は耐えるよ。どちらがどうであるかという判定はそれを見ている者が決めればいい事だ。私は読んだ物に対しての素直な感想をただ綴るだけだからな。だから、私の書いたもので「酷い」と思ったのなら、それを素直に書いて貰っても良い。極端な話、そういう態度が全てのブロガーには必要なのではないかとまでも思っている。

2chスレでもコメント欄でも、ごく数人のアンチが工夫をする事によって何十人もの反対派が居るかのように工作する事は難しい事ではない。それに人間は判断を視覚に頼りすぎている面が有る。ブラウザを使っている時に0クリックもしくは1クリックで見えてしまう場所に罵倒文が見えると、古い時代の感覚によって感情が揺さぶられるというアンバランスさがある。例えばiTunes StoreAmazonレビューにアンチ的な書き込みが有ったりしたときとか。
また小規模事業者へのブログの影響力 | isologueで、グルメレビューサイトに「あのレストランはおいしくなかった」と書いてあったので、なんだかもう一度食べに行く気がしなくなった……という話が書いてあったりもした。これも観測範囲が広がったWebの見も知らぬ第三者が書いた情報なのに、それ以前の古い感覚を適用して起こった現象だろう。
観測範囲が生活圏周辺しかなかった時代は、趣味志向や感覚に大差がない人間が集まっている傾向が多かったのだろう。しかしWebで観測範囲を広げると、全く価値観が違う人や、味の志向が違う人の意見が目に入る確率が高くなる。そんな風に10000倍以上目に入る情報を増やしているのに、視覚と感情システムは古い時代のままだから「罵倒に耐える」などという表現になるのだろう。(意見の合う仲間内だけしか見られないようにするSNSのような仕組みが望まれているってのも、Webの観測範囲を広げないようにして古い感覚に機械のほうを合わせる工夫なのだろうか)
たった数人のアンチしか居ないのに、まるで大多数の反対派がキャンペーンを張っているかのように見えてしまうというギャップは、技術面としては炎上対策として必要なブログのコメント制限機能 : ARTIFACT ―人工事実―で提唱されているようなきめの細かい制御をしてしまえば、8割がたは何とかなってしまうと思っている。
Amazonレビューでは「他のレビューを見る」をクリックしないと、評価の低いレビューは表示されないという1クリックのクッションが入っている。iTunes Storeでは0クリックで表示されてしまう。そのたった1クリックの違いは、人間の古い感覚にとっては大きな差として見えるもんだ。
話は少し脱線するけど。
仮にはてなブックマークコメントで「罵倒」と評価できるコメントが有ったとして。客観的に読んで、知性の値が地面にめり込んでいる気の毒なコメントを、公衆の面前にさらして居るんだから。それはつまり「私はこんな気の毒なコメントを書いているので、頭脳の出来が○○ですよ」と大宣伝しちゃっているということになるよなぁ。(デマとか有りもしない嘘を書かれて名誉毀損をされているのであれば、それは「罵倒」ではなくて犯罪だから、「根拠もなく××というデマを流している人が居ますが、これはこういう理由であり得ません」と公式にデマを打ち消す発言をして対処すればいいのだ。感情面とかメンツは根本的には関係の無いどうでも良い話)
あと、どうして公開の場で「ああ、根拠も無しであさってなコメントを書いちゃって、お気の毒な人なんだろうな」と思われるようなことを書く人が居るのかが不思議だったのだけど。「それは、共通の誰かを罵倒する事によって、おれも同じ人が嫌い仲間という帰属意識を確認し合っているのではないか」という分析を教えられて、目から鱗が落ちた。なるほど。客観的に知性がお気の毒に見られる事はどうでも良くて、「好きか嫌いか」とか「仲良しグループか敵対グループか」という判断軸で生きている人は居ても不思議ではないよな。(それは良いことでも悪い事でもないと思うし)
追記
http://b.hatena.ne.jp/naohaq/20070103#bookmark-3612330

naohaq うーん。「そういう人がいてもおかしくないよな」ということは想像できているのに、なんで「アクセスコントロールがあれば8割は解決できる」という点に関しては妙に楽観的なんでしょう?

id:naohaqさん。私が「8割がた解決できる」と思って書いたのは、数人が裏技を使って多人数の反対派に見せかけるというネット工作に関してだけですよ。
「そういう人がいてもおかしくない」と思っているのは、共通する嫌いな人を確認し合うという心理に付いてです。
いま読み返してみたんですけど(根本的に分かりにくい悪文である事は棚に上げたとして)「ネット工作の技術的防御法」と「罵倒に寄る帰属意識」を混同してしまう原因がよく分かりませんでした。想像して解釈してみたのですが「「ネット工作をするアンチ」と「罵倒で帰属意識を持つ人」はnaohaqさんとしてはイコールというのが前提で、後者がいてもおかしくないとおもっているほど頻繁に存在するのに、アクセスコントロール程度でそんなネット工作=罵倒で帰属意識を持つ人たちに8割も対処できるなんて楽観的じゃないの?」という事でしょうか?
仮にそうだとすると。私にとっては、その前者と後者はイコールで結ばれませんし、現状でヌルいネット工作がほとんどだと思っているので、簡単なアクセスコントロールはてきめんに効果があると思います。……という反論になります。
その誤解した点に付いて分かりやすい文に書き直したいので、どのあたりで混同したのかを知りたいです。よろしかったら教えていただけると幸いです。(これは私の勝手なお願いですので「メンドクサイからやだ。混同して的外れなコメントを残しているのもオレの自由だし」というのであればスルーしてもらえれば)