小野マトペさんは、宮崎吾郎批判ではなく鈴木P批判の部分まで誤爆して反論したらハマる

2006-07-31で。
俺解釈で要約すると「ゲド戦記を見た人が映画のチケット代金分だけお客として批判するのなら分かるが、単に祭りとして見ても居ないのに批判するのは中二病っぽいのでムカつく」という反論なんだけど。
祭りの部分には鈴木プロデューサーの無茶な行為に対する批判も含まれているので、そこを誤爆して反論したらダメだと思う。
過去の経緯を考えると……

という土台があるわけで。そこで「世襲」をしたんだから。
もちろん会社経営としてジブリを存続させなくちゃいけない事情とかがいろいろあるのは想像できるから、どんなにみっともなくても長男に映画を作らせるってのは苦渋の選択だったとは思う。
でもさ。
今になって「会社の都合で」みたいなみっともない事をするのなら、過去の若手育成失敗についてツッコミされても仕方が無いよね。「会社経営のため」「関係会社とのしがらみ」なら昔からちゃんと若手育成しときゃいいじゃん。と、言われる。
そして、長男の作った映画がそれなりにクオリティが高ければ「ああ、世襲はどうかと思ったけど。まぁちゃんと映画作れているのなら若手育成の失敗とかはチャラで結果オーライだよな」と成ったはず。それがどうもゲドはヤバいらしいという証言を聞いたんだから、「ゲド批判」では無くて「鈴木P批判」の人たちはツッコミするでしょう。
小野マトペさんのエントリーは表面的には「プロデューサーのハッタリ商売が嫌いで、そこを批判している人たち」までは反論していないですが。コメント議論はその領域に踏み込んでいるので、もしかしたら区別がされていないのかと不安に成りました。
こはちゃんと分離して議論しないと。(そして「鈴木P批判」には現時点で反論する要素がほとんど無いので黙っていた方が良いでしょう。次回作が出るまで「世襲は失敗」と言われても仕方が無い状況)