100文字だろうが2000文字だろうが、自分の文の意図が誤解されたら「読み取れない読者が悪い」とは思わない方がよい

はてなブックマークでのコメントにも責任を持て - ただウェブに駄文を綴るのみを読んで。
自分の意図が誤解されずに誰かに伝わることなんて、人生のうちでも数えるほどしか無いんじゃないだろうか。
誤解されたときは、さらに言葉を重ねるなり、その他いろいろな担保を提示したりして意図を伝えればいいのだ。
ブックマークコメントが意図とは違う取られ方をしたときに「なんでそういう解釈をするんだろね。ムカつくよ」と感情的になっても不毛だろう。
そのコメントを付けるに至った経緯を何万文字かけて説明しても、「誤解」を絶対に起こさないことは難しいだろう。
何万文字あっても100%完璧なのは無理なんだから、100文字で出来なくても当然だと覚悟しなくちゃ。
たとえば、間違いや誤字脱字の指摘を「おまえそんな国語力もないんだぁ。ダメだなぁ」と受け取るのは、不毛なお勉強文化だとすると。「おまえのブックマークコメントは○○だ」という誤解を「ダメだなぁ」と受け取るのも不毛な優越感ゲームだ。なんで誤解されて当然のことをいちいち気にする?
あと余談だけど。

  • ソーシャル「ブックマーク」サービス
  • Google「キャッシュ」

ってのは、実態にそぐわない言葉を付けたうまい(そして狡猾な)ネーミングだと思っている。
「ブラウザのブックマークって個人的なものでしょ。それがWebに出てきただけ」「ブラウザやプロクシのキャッシュってローカルなものでしょ。それがWebに出てきただけ」とイイワケが出来てしまうようになっている。
実際には「それがWebに出てきただけ」というところが責任という意味では非常に重要なんだが、そこに気がつかない人は多数いるだろう。
追記:なんかブラウザの調子悪くてコメント欄に投稿できなかったので編集追記
「それってもしかして「単なるドンパチ(喧嘩)」と「誤解」の分かれ目が、世間に支配的な価値観を前提としていませんか?
そして「問題だ」というのも、その価値観による判断じゃないですか?
個人が自覚してその価値観に従うのは別にいいのですが、「すべての万人が説明無用で従うべきだ」という発想は不味いかなぁと。
「この読者はこれこれこういう理由で価値観や立脚点が違うから、こう読み取られるのは腑に落ちる」のほうが不毛じゃないかなぁと思いました。」