「空気が読める」を「暗黙の文脈を理解する」って意味だと考えると、ネットでそれを他人に求めるのは無茶だと思う

もっと詳しく定義すると「相手がそれをどういう意図・態度で発信しているのか、どういう返信を求めているのかを理解できる」だと思っている。
「空気が読めない」という事に関して。それが「外人」だったりすると腹が立たないよね。
さて。「過去ログも読まずに文脈を無視してコメントしないでください」というblog書きのぼやきはけっこう見かけるけど。その「過去ログ」を「日本社会の常識暗黙知」と置き換えた物が「空気を読む」における暗黙の文脈だと考えている。
だから昨今の「空気を読む事を期待しない」というのは「blogのPermalink時代だから、一見の閲覧者に文脈を読んでもらうことは期待するだけムダ」というのとなんか似ていると思う。
あとおれは、ネットで発言している大抵の他人を「外人」として扱っているのかもな。文脈を読まないことが当然だから、変に悪意や攻撃の意図を邪推しても意味が無い。
「(Dan Kogai|Joi Ito)も外人と思えばすごい良い人だよ」というギャグがあったりするが、そういうことだろう。