バトンの是非やTrackBack論を見て「(議論している人たちは)下が見えない・上を見ない」のは当たり前だと思う

http://www.pluto.dti.ne.jp/~rinou/saji/200506.html#20050630

 ピコ手時代が長い大手はそうでもないと思うけど、アクセス数は1年足らずで定常化する、という説が広く適用できるなら、ピコ手時代が長かった大手というのは殆ど存在しないのかもしれない。
 「下が見えない・上を見ない」はトラックバック論にも言える。

を読んで。
俺は以前に実験さんみたいなユートピア思想があってもいいし、過激に殺伐とした思想があってもいいと俺は思ったり - import otsune from Hatenaというダイアリーで書いたことが有るけど。
要はいろいろな人がいて、それぞれの立場でメリット・デメリットを訴えている状態がちょうどいいと思っているんだよね。
歴史の話としてこんな事例もある。
昔はeメールのSubjectにいわゆる全角日本語文を入れるのは控えよう。という啓蒙があった。
MIMEエンコードが有るといってもtelnet端末で=?ISO-2022-JP?B?GyRCRnxLXDhsJWEhPCVrGyhC?=とかパッと見て分からないからダメだ」というように、まぁ一理ある批判があったりもした。
現在ではみんなもご存知のとおり、技術の進歩でメールの題名に日本語を入れたからって誰に怒られる事も無くなった。(まぁ現実として、ちゃんとしたメールクライアントが使えずにMIMEをデコード出来ない環境の人たちの間で「世間の常識ではOkだけど、ここでだけは半角でSubjectを付けてくれ」と特記されることもあるけど)

RinRin王国の「下が見えない・上を見ない」という記述は、文脈から解釈するとあきらかに村社会文化の持つ「まぁそんなにギスギスしないでさぁ。他人への主張をそんなに強くするもんじゃないですよ」というナァナァさを悪用しているとも感じる。

「リンクや言及をたくさんされる大手サイトは、バトンに頼らなくても大手だというだけで堂々と他人と交流できているじゃん。弱小サイトはバトンみたいな言い訳がないと……」というのであればだ。
「バトンはチェーンメール的でそういうのにホイホイと追随する精神自体が批判されるかもしれませんが。自分は弱小サイトで話題も欲しいのでホンネとタテマエを分離して乗っかりますよ。ただただし氏にバトン批判されてムカツクけど、しょうがねぇーんだよ。そのぐらい見逃せよ。だけど自分がバトンをしているのを見た子供たちは、真似してバトンみたいなチェーンメールを回さないでね!!」と宣言するのはどうだろうか。
「なんだかとにかくむかつく。うまく言えないけど」という人たちは、文章というリング上では「モヒカン族ただただし」にいいように論破されてしまう。
だけど実際には「なんかいちいち文句つけてくるムカつくネットお宅のひとっているよねー」と言いながら絵文字馴れ合いで友達と楽しんでいるケータイ族は生きていく。
俺はそれを「極端な人がそれぞれいて、どっちかがどっちかを滅ぼすんじゃなくて同時に生きているのが健全だ」と6月6日に書いた。
だから「下が見えない・上を見ない」というのは実際には当たり前の話で。
メールの日本語Subjectみたいに「技術の進歩」によってどっちもが幸せになる方向に向かっていればいいんだと思う。
「なんだかうまくいえないけど」の人たちが「バトンで馴れ合いたい」という要望だけを抽出して、チェーンメールが蔓延する「悪い善意」を封じるようなシステムや技術を進化させるほうがいい。(「むかつく人からリンクされたくない」という要望を追及してSNSが出来たみたいに)