「blogのエントリーに、女子もしくは娘・中学生・高校生という単語が入っていた場合は、問答無用に議論を誘導していると判定して眉唾で読むべし」という法則を提唱したい

たとえば「受験生が大学受験のために上京した。会場に向かう電車に乗り間違えてしまった。車掌の判断で通過駅で停車して受験生を降ろした」というニュースがあったとする。ちなみに実際にこういうニュースは存在する。
そのときに記事中に「女子」という単語が有るのと無いのでは、賛否両論への影響度が桁違いだろう。なぜ女子受験生だったら同義的に許すのだ?

だからhttp://omoteyomi.mods.jp/essay/archives/2005/05/eeaaeeo.phpの記事中において「女子中学生blogが閉鎖した」という誘導がされているのを読んで、かなり妙だと感じた。
「女子中学生blogが閉鎖するから、ネットでは議論をするな」ということなのか?

さきっちょ・はぁちゅうの悪あが記での騒動の擁護でも不思議に思ったのがひとつある。
それは「19歳の小娘のblogなんだから、みんな自作自演や詐欺的行為ぐらい許してやれよ」というような擁護だった。ネットでは顔が見えないから、たとえ15歳だろうがすばらしいことを言っていれば賞賛されるし。72歳であろうが、妙なことを言っていればツッコミされるのが当然ではなかったのか? それがメリットのひとつじゃなかったのか?
新聞記者や雑誌ライターのような特権が無くても、主義主張をほぼ平等にアピールできるし。普通の中学生もプロの新聞記者も平等にツッコミを入れられてしまうのがネットの利点だよね。

もしかしたら「男性blogは多少は厳しい文体で議論をしても平気だけど、女性blogは感情やつながりを優先するのだから、トラックバックで丁々発止をするときはトーンを抑え目にしよう」というような主張があるのだろうか。
もしそうだとしたら、それはとても失礼な差別だとオレは思う。だって「生物学的な女性だから感情面でしか議論が出来ない」と決め付けていることにならないか。
同じように年齢や肩書きでも差別があると思う。「中学生だから議論が出来ない」と決め付けている。

仮に本人が「私は中学生の女子だから国語力や議論の下手さについては大目にみてください」とお願いをしていたのであれば、そのお願いを聞き入れるという「礼儀」を重視しようという提案があることはとても理解できるし同意もできる。
だけど、平等に普通のblogを書いている場合は、まず普通の人間として扱うというのが礼儀では無いだろうか。(罵倒したトラックバックを他人に対して送らないというのは常識だから、議論では論外として)