お笑い芸人に倫理観や社会規範を要求するなんて、まるで道化師に鎧を着せて戦わせるみたいなねじれ現象だなぁ

「お昼の笑っていいともで飯島愛に対してキングコングがあんな事言って本当に許せん。」 - 昨日の風はどんなのだっけ?から。

それは最近のお笑い芸人の方が良く現場で言っている「空気を読め」という言葉は、実は思いっきりファシズムにつながる危険な考え方ではないかということ、そして「芸人のやっていることはイジメにつながらない」という芸人側の主張を自分たちで怪しくしているのではないかと思っています。

自分が「めちゃイケ」「ワンナイ」「はねトび」が嫌いな理由というのは、その辺への引っかかりが強いんですよね、“人を笑わせる”という行為は何事に対しても免罪符にはなり得ない。

エントリーの趣旨自体には同意している。
ただ、それは「今のテレビバラエティは、本来は亜流の道化師であるはずの芸人が、何故かメインを張ってしまうねじれ現状」という異常さが原因だよなぁとも思っている。
だってさ。例えば、立川談志に凡庸な正論を言ってほしいか?
もともと芸人ってのは、正義感や倫理観や社会的規範を外れた存在で、ならず者上等だったはずだ。差別・いじめ・ねたみ・暴力・嘲笑など、群れの動物としての倫理観に反する行為や考え方を、あえて「笑い」というオブラートでくるんで表現する職業だと思う。倫理に基づくと、決して指摘できない耳に痛い言葉を、笑いというインターフェースで伝えたりするのも道化師の役割だっただろう。
それがいつのまにか、テレビでメインの位置に芸人が存在するようになって、社会的規範を求められるようになってしまったのか。
もちろん物事は何でも程度問題だと思うから、舞台での毒のお笑いとテレビのお笑いでは、リミットのかかり具合に差があるのは当然だと思う。
その「リミットの閾値」が、メインを張る事に寄って変わってきちゃったんだな……
お笑い芸人にお笑いの根本である「人間の黒い感情」を捨てろ。というのは「芸人をやめて、ほのぼの正論タレントに成れ」というのと同義だよな。
だから、結論としては「芸人だから根本的にブラックなのは仕方が無いけど、もうすこしリミットの設定値をテレビではまろやかに調整して」というリクエストであれば理解出来る。
芸人は道化師なんだから、そもそも反倫理的な発言をするためにそこに居るんだし、人間の持つ本音の部分を「笑える」という感情を使って引き出す存在なわけだ。
空気読めがファシズムなのは当然のことで、ファシズム的な要素があることで芸人は芸人として生きているんだ。
程度の問題の話を、存在意義そのものの話と混同して語ると、ハマってしまうだろう。
(「私はお笑いのセンスが無い事で、これだけ学校で悲惨な生活をしてきた。だから、お笑いノリが嫌い」「芸人をバッシングできる建前がちょっとでもあれば、自分の恨みをはらすために本音を隠して攻撃する」「反倫理的なのがいけない事なのは説明不要じゃないか? 道化師の存在意義なんて知らないよ」というズレた人が出てくるだろう。好きか嫌いかは、個人の価値観の話であって、議論にはならない)