アクセス解析を隠せば良い。というのは「愚者のセキュリティ」だ。危険ですらある

アクセス解析は中級者以上のものだったのにも関わらず初心者に使われてしまうことが悲(喜)劇の原因であることについてから。

アクセス解析、特にリファラの問題に対して、アクセス解析は大体、「参照元を無差別に表示してしまう」からだ。先ほども述べたように、初心者がもしそのような「悪意」と受けとめられやすいコメントに対して免疫が無い場合、このアクセス解析は、自衛どころか自滅を促してしまう。

もちろん初心者でも悪意のコメントに対して異常なほど免疫のある人がいるだろうし、中級者でも私のように小心者であるならば、リファラを見ただけで傷ついてベットの中で枕をぬらすこともあるだろう。だが、この辺りはもはや個々の気質の問題なので、我々は考察しない。

「個々の気質の問題」という結論が出ているのに、なぜ「隠す事による解決」という官僚的で封建的な手段を提案するのかが理解できない。
初心者を心配しているのであれば、真っ先に考えるのは「blogを公開すると、悪意の有るコメントや揚げ足を取られる事が有りますよ」という啓蒙手段だろう。なぜ隠して眼に触れさせまいとするのだろうか?
そんなことをしても、リテラシーを身につけずに単に時間だけを重ねた「自称中級者」が溢れかえってしまうだけだろう。
「隠してしまえばいいのだ」という昭和時代のカビの生えた思考法には反対する。
個人的に初心者にこそアクセス解析を見せるべきだと思う。そして中級者になってカスタマイズ設定できる人が見なくても済むようにすべきだろう。