マッチョな言論をめぐっての好き嫌い

http://d.hatena.ne.jp/tenkyoin/20050511#c
id:jounoさんからネタ振りされたので、どう感じたのかを書いてみようっと。

もうひとつはすくなくともぼくのばあい家父長的なというかマッチョな言説に対する批判というか、その根にある不快感は、女性のためにというような、代理的なものではなくて、単に、それがマッチョでない男性に対する抑圧的態度と同質で一連のものだからです。つまり、マッチョな父親的態度に反発するのの延長上にある。極端な話、この世に女性がいなくても、ぼくはマッチョなやつは嫌いです。

ようするにサークラにまつわるキーワードはマッチョ(家父長的)な思考からくる言論なので、それは嫌いだ。ということだと読み取れました。(id:jounoさんから「そこはid:tenkyoinさんに対して、フェミニズム当事者ではない男子が語るのは正当性に問題がある」という意味だと返事がきました。次のセクション参照)

僕は個人的に「暴力・性愛・コメディは元は一緒の物で、そこから目をそらしてしまうと動物に戻ってしまう」という行動原理があります。合法的にスーフリ和田な動物活動をして生きている人(みうらじゅんが言うところの「ガハハ」。本田透が言うところの「イケメン」)がそれなりに存在します。平気で「肉便器」とか言いだしそうな人たち。
人間であるためには「お上品」である必要があり、そういうガハハや本田透語でいうところのイケメンにはなりたくないぞと。そして「お上品」でも生きやすくなるために、お下品からも目をそらさないぞと。(「お上品」というのは立川談志の定義に従って「欲望がゆっくりと露呈するさま」をさします)
id:jounoさんは「暴力・性愛・嘲笑」に着目することすらおぞましいし、そういう行動をするのはもってのほか。という主張だと思いました。しかし私は逆に「暴力・性愛・嘲笑」をする人たちに注目して、その概念を広めるほうが動物ではない人間になるためには必要だと考えています。(サークラの解説文に規約を守るのは当然として、差別的な表現や分かりにくい部分を書き換えたのはそういう行動原理です)
個人的にこれに一番近い思想は、オープンソースやセキュリティにおけるフルディスクロージャー*1だと思います。やばいことを隠して問題が出ないようにするのではなくて、やばいことがあることを指摘して、それに対処する筋の良い解決策を見つけたいと。(もちろんフルディスクロージャーの作法として、いきなり0dayで大公表したりするのは迷惑が振りまかれるので良くないです。サークラの実例をあげて、特定の人物を貶めたりするような行為に転用するのはダメだと)
というわけで、この「闇を見つめること」の是非をどうしたらいいのかは分かりません。私としてはフルディスクロージャーで今後も対処していきたいと思っています。
id:jounoさんから「そういう主張ではない。逆だ」という返事がきたので次のセクション参照)

*1:最近だと「失敗学」というのが似ているかも